戦後にあった「預金封鎖」 とは

2023年末時点で日銀の日本国債の保有残高は580兆円を突破しました。日本の国債の発行残高は約1,100兆円のため、その5割を占めています。また、日銀が異次元緩和を導入した2013年当時の保有残高は約130兆円だったので、10年で約4.5倍に増えており、民間企業が国債離れに動く中、580兆円は先進国でも類を見ない異常な数字と言えます。

「日本では、いよいよ財政危機が迫っており、水面下で政府がそれに備えた行動を始めているのでは」と指摘する有識者の方も見えます。過去の歴史を紐解いてみれば、太平洋戦争終戦直後には、巨額の戦費をまかなう為に過激な財政再建が行われてきました。

1. 預金封鎖と通貨切り替え

5円以上の銀行券をすべて預けさせ、引き出せる金額は月に500円(夫婦と子ども1人の標準世帯の場合。現在の額でおよそ20万円)までに制限し、必要な金額だけを旧札ではなく、新銀行券のみで引き出させるようにしていました。

2. 財産税

一定額を超える預貯金、株式、不動産などの財産に一回限り特別に課税するというもので、最高税率は90%という驚くべき数字でした。

通常、政府が国民の財産や所得に課税するには、国会の議決や承認が必要で、これは政府にとって容易なことではありません。しかし、マイナス金利政策はすべて日銀の独断で行うことができます。マイナスの幅にも限界の規定はないため、極端な話ですが、マイナス100%にすることも可能です。実行に移されるかどうかは別として、日銀と政府はそうした課税の手段を手に入れたのだという見方もできます。最悪の場合、預金封鎖や財産税の復活といった未来も否定できません。

終戦直後当時、事前に情報を得て、預貯金を大量に引き出し株券に替えたり、資産を貴金属などに替えたりして、課税対象の捕捉から逃れた人たちもいたといいます。現在なら、資産を海外に避難させたり、仮想通貨に資産を変えたりするという手段もあります。いずれにせよ、円だけに全財産を預けるのではなく、ある程度分散した方が安全と言えます。

預金封鎖を実施した当時の大蔵大臣は渋沢栄一の孫、渋沢敬三でした。はからずも7月3日には20年ぶりに新紙幣が発行されました。もし今日、渋沢栄一が新1万円札を見たら何を思うのでしょうか。